2019年度 MFUマイスター≪技術遺産≫認証 受賞者のご紹介 ①

グッドエイジングキャンペーン

~2019年度 MFUマイスター≪技術遺産≫認証 受賞者~

私たち日本人が、後世に伝え遺していかなければならない「メイド・イン・ジャパン」の技術力。

歴史と伝統からくるノウハウに裏打ちされた“ 技”“ 美”“ 心” を持つ受賞者を紹介します。

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特殊糸の創造者

渡邉 文雄

東和毛織株式会社 会長

 

 

あたらしい糸の領域は、まだまだ掘り起こせる。

我 事に於いて 後悔せず。

いざ局面に立ってから慌ててはならない。かの宮本武蔵が高弟に遺した言葉である。渡邉会長が荒波のなかを乗り越えて来られたのは、言葉の意味するところを心に刻み、そこに至る以前になすべき準備を怠らなかったからだろう。

始まりは、1902(明治35)年に祖父が興した毛布の機屋である。そこから30年の時を経て、法人化された渡邉毛織合名会社を継いだのが、父の兄にあたる伯父だった。ただ、時は満州事変の翌年のことであり、日本を取り巻く環境は一段ときな臭くなっていた。1941(昭和16)年、関連企業が集められ、国策として軍の毛布をつくる東和毛織有限会社が設立され、伯父が代表となった。そして暮れには日本軍が真珠湾を奇襲し、後もどりのできぬ戦争へと突入した。

先に待っていたのは無残な敗戦だった。

会社は焼け、機械を失い、原料もない。何もかもを失い、集まった10数社は帰るべき場所へと散っていった。絶望のなかで一人、伯父だけが「東和毛織」の名を受け継ぎ、資本を一本化して、再び自分の道を歩き出す。 

伯父には子どもがいなかった。甥である渡邉会長を我が子のように育て、東京の大学にも送り出してくれた。だから一橋大を卒業後、しばらく大手紡績会社に身を置いたのち、恩返しをしたい気持ちもあって当時は名古屋にあった伯父の会社に入った。ただその時期は、高度成長が終わろうとする時期と重なっていた。

1973(昭和48)年のオイルショックのあと、5年後に第2次が押し寄せて倒産と廃業が相次いだ。そこへさらに円高不況が追い打ちをかけた。社長に就任した1988(昭和63)年ごろは、とくにきつかった。毛織物の対米輸出では採算が取れず、5年10年をかけて紡績主体へと舵を切っていく。もはや以前のように安い糸を買って大量生産をし、ありきたりのものを供給していたのでは、やっていけない。もっともっと付加価値の高い、特殊な糸の開発が求められた。

紡績のポイントは、均質な糸をつくることと同時に、さまざまな糸を生み出すことにある。先代は、高品質ながら回転が遅く非効率な英式紡績機だけでスタートしていた。大量生産向きで効率のよい仏式への転換を進めながらも、かんたんに英式を捨てられない。特別なニーズに応えるのはもちろんだが、英式でしかできない糸があるからだ。その英式も仏式も自身で改良に改良を重ねてきたものだ。

いまは社長の座をご子息に譲り、これからの繊維業界を背負う若者たちの指導に熱を帯びる。時代はもっともっと激しく変わっていくだろう。楽観視できるものは何もない。まさに「事において後悔せず」が問われる日々がやってくる。が、もとより、準備は怠らない人である。

文=瀧春樹

 

 

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