2019年度 MFUマイスター≪技術遺産≫認証 受賞者のご紹介 ②

グッドエイジングキャンペーン

~2019年度 MFUマイスター≪技術遺産≫認証 受賞者~

私たち日本人が、後世に伝え遺していかなければならない「メイド・イン・ジャパン」の技術力。

歴史と伝統からくるノウハウに裏打ちされた“ 技”“ 美”“ 心” を持つ受賞者を紹介します。

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日本を代表するタキシードデザイナー

横山 宗生

一般社団法人 日本フォーマルウェア文化普及協会 理事長

株式会社マイモード 代表取締役

Tuxedo Atelier ROSSO NERO 代表

 

だれも歩いていない道を、歩いていく

四国の高松に三越がオープンしたのは、1931(昭和6)年のことだった。

祖父はそこで、オーダースーツのデザイナーをしていた。ただ父は、そのまま親のあとに続かなかった。洋服の時代に入り、オーダーが増えていくだろうとの読みが三越との双方にあった。1963(昭和38)年、依頼を受けて父は横山縫製工場を創業。三越専属縫製工場として店内に仕事場を持ち、いまなお続いている。

その父に育てられ、横山宗生さんは国立富山大学の経済学部に進む。卒業後は帰郷して別の会社に勤めていたが、あるときふと、自分で経営をしてみたくなった。何をどうしたいというのではない。たた経営者になりたかっただけだ。

むろん、両親は入社を拒んだ。時の経過とともに、すでに父の会社は裁断と縫製のみを行う下請工場になっており、顧客の顔が見えず、職人も減っていた。

それでも折れてくれた父は、どうやったら生き残れるかは自分で考えろ、と言った。代わりに、やりたいことはすべてやらせてくれた。横山さんは工場に併設して、オーダーショップMY MODE(現

ROSSO NERO)を立ち上げる。

翌2000(平成12)年のことだった。各国の青年会議所の次期会頭が集まる国際アカデミーが高松で開催された。最後の夜、ブラックタイ指定のガラディナーに出席して、愕然とした。隣にいた外国人はオスカー・デ・ラ・レンタのタキシードを着ていた。その格好のよさに息をのんだ。自分が身につけていた名ばかりのタキシードが目に痛かった。おなじものがこれほどに違うのか。自分も着たい、作りたい、売りたい。進むべき方向が、一直線に見渡せたときだった。

それからは小売りだけでなく、結婚式場などのブライダル業界に卸すことも始めた。安価で手軽なものから、デザインを吟味した質のいいものにシフトしていった。不思議なことに、東京からの注文が増えていた。それを背景に、2008(平成20)年、東京青山に進出した。

あれから12年。いまでは、最高峰のホテルであるザ・リッツカールトン東京やザ・ペニンシュラ、和倉温泉の加賀屋、ジョエル・ロブションのブライダル運営会社など、そうそうたる取引先が扱ってくれている。 

氏はここまで、毎年のように新作をつくってきた。その過程でスタイリストたちの評判を呼び、信頼も得て、年間100人以上の芸能人やモデルに使用され、彼の作品はときにグラミー賞やアカデミー賞の授賞式にも出席している。

たくさんの人が日本を訪れ、たくさんの日本人が外に出ていく時代である。どこにいても、心豊かな人生を知る、輝く人であってほしい。なにより、そうしたお手伝いをしたい。その先に、世界一のタキシード専門店が見える。

 

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