2017MFUマイスター≪技術遺産≫認証受賞者② 藤田光弘

グッドエイジングキャンペーン

私たち日本人が、後世に伝え遺していかなければならない「メイド・イン・ジャパン」の技術力。
歴史と伝統からくるノウハウに裏打ちされた“ 技”“ 美”“ 心” を持つ受賞者を紹介します。

 

藤田 光弘
刺繍・プリントの総合プロデューサー

有限会社昌藤 代表取締役

 

それが必要なら、機械だって自分でつくる。

ずっと、不器用な人間だと思われてきた。手先の器用さのことではない。生き方のことである。
もっとうまく立ち回れば、らくに生きられるじゃないか。何度そう言われたことだろう。
ただ、それができなかった。人に媚びることができない。そのくせ、一つの仕事を一生懸命にやりすぎる。だから人生の大半は、貧乏と友だちのまま過ぎてきた。
祖父と父は、もともと東京の日本橋で仕立て職人をしていた。が、いろんな不幸が重なり、親戚を頼って群馬県の桐生に移ることになる。
桐生に生まれた藤田さんは成長し、やがて親戚が経営する自動車整備工場で働きながら、夜は定時制高校に通った。不思議なことに、ここでの機械との格闘が、のちに思わぬ形で花開くことになる。
とはいえ身体は強くなかったし、なにより生活がひっ迫していた。18才の9月、思いきって転職をする。それが刺繍屋だった。
当時の桐生は、機屋と縫製屋が多かった。そこの主人たちは全体を取りまとめることが仕事で、自ら手を動かそうとはしなかった。「なんで整備工を辞めて、刺繍なんかやるんだ」。刺繍など男の仕事ではない、とする風潮が根強くあった。その言葉が長く胸に突き刺さることになる。
2年が経ったとき、勤め先の主人が亡くなった。そして残された奥さんが「独立して、うちの仕事を請けてくれないか」と言ってきた。独立といっても、手伝ってくれるのは母しかいなかった。こうして2人だけの「藤田刺繍」が出発した。下準備はすべて母がやってくれた。60才になるまで母は手伝ってくれた。
最初の転機が「日本ジャガード工業組合」に入会し、関西のいくつかの会社を訪問したときだ。大きな会社で、立派な技術者たちが真剣に刺繍と取り組んでいた。霧が一気に晴れた。いいんだ、この道で。
次は60才になったときだった。営業担当役員の林さんが入社してくれた。「これだけ充分な機械と職人さんがそろっているのなら、何でも仕事を取ってくる」。彼はそう断言し、実際、その通りになった。
会社の強みは、ほかの会社が断念した仕事でも引き受けられる点にある。ミシンの種類は圧倒的だし、自作のアタッチメントは数えきれない。ときには膨大なミシンのなかから、100年以上も前のものを引っ張り出すこともある。
原反をカットする縦切りカッターは自分で作ってしまった。減速モーターも自作だ。
従業員が30名を超えたいまも、顧客からの難題をやり遂げることに大きな喜びを感じる。
「やれることがあるって、うれしいですよね」。
まぎれもない、職人の言葉である。

 

 

 

有限会社昌藤
〒379-2304
群馬県太田市大原町2300-5
TEL 0277-78-6662

 

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