2015年MFUマイスター≪技術遺産≫受賞者紹介①

グッドエイジングキャンペーン

想いつづければ、夢は叶う メイクアップアーティスト トニータナカ氏

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終戦から8年が経っていた。人びとの心にもようやく希望らしきものが宿りはじめ、貧しいながらも、そ
れぞれが寄り添って生きていた。母がよく言っていた。「誰かが誰かを幸せにしているのよ」と。

5歳の夏だった。米軍の将校クラブで通訳をしていた叔父に誘われるまま、立川基地のゲートをくぐった。そのときだった。突然に、神の啓示が舞い降りた。視線の先には、はじめて目にするアメリカの美容室があった。見慣れないシャンプー台、くるくるカールのヘアスタイル、お釜に頭を入れたまま煙草を吸うブロンド女性たち。どこからか甘いヘアスプレーの香りが漂ってくる。憧れと興奮は頂点に達し、ガラスは吐く息で曇った。母の言葉がよみがえった。僕が誰かを幸せにできるなら、これかもしれない。そうだ、あそこに行きたい。

10 歳になった。住みなれた経堂の町に、ある日忽然とビューティサロンが開店していた。くすぶっていた炎が、再び燃えさかった。少年はガラスに額をくっつける。と、ドアが開いた。驚いたことに店主は、昔お世話になった大家さんの次女で、弟のように可愛がってくれた方だった。それからは、学校から帰るとまっすぐ「ヒロ美容室」へと向かう。心底ここで働きたいと思った少年は、箒を手にフロアに落ちた髪の毛を集めていた。スタートだった。

「最近ハリウッドから帰ってきた、すごい人がいるわね」

話を聴いた僕は、すぐさま千歳船橋にある植村秀メイクアップ研究所に押しかけた。弟子に入りたい。強くそう願った。迷惑な植村さんは僕を見て、「高校と美容学校を卒業してからおいでなさい」と諭した。あきらめると思ってのことだったろう。だけどあきらめなかった。両方を同時に卒業し、約束をたてに、先生の最初で最後の内弟子となった。

2年ほどして、ワーナー・ブラザースとの日米合作映画「マスターマインド」の話が持ち込まれた。植村先生の口から、とんでもない言葉が飛び出す。「田中君、やってみないか」小躍りして、撮影地の京都へと向かう。

仕事はハリウッド屈指のメイクアップアーティストのアシスタントメイクルームにやってきた。僕にはミドルネームがなかった。彼は仲間と相談し、ウインクをした。「よし、今日からお前はトニーだ」一斉に拍手が起こった。

こうして、かの少年はトニー タナカになった。ハリウッドへと向かった以降の氏の活躍は、多くの方がご存じだろう。紙数がないから割愛させていただくが、米国との懸け橋を果たすだけでなく、自ら追い続けてきたメイクアップアートの研究成果を、日本はもとより台湾や中国の若者たちにも指導し、一方で日本の高校生や専修学校生の就業支援にも奔走する。

そう、誰かが誰かを幸せにしているのよ。その言葉がトニーさんの背中を押している。