MFUマイスター≪技術遺産≫認証 受賞者紹介③

グッドエイジングキャンペーン

田中 康信 オリシンマテリアル株式会社(織物職人)

染め以外はほとんど経験した
それでも学び終えるということはない

” alt=”一般社団法人 日本メンズファッション協会 のブログ” width=”220″ height=”293″ border=”0″ data-entry-id=”11612024048″ data-image-id=”12680865152″ data-image-order=”1″ data-src=”https://mfu.or.jp/blog/wp-content/uploads/image/t02200293_0336044812680865152.jpg” />

京都・紫野で生まれた。世の中は戦後の復興へとひた走っていたが、まだまだみんな貧しかった。母が糸繰りをしていたこともあり、手に職を付けるため、帯地を織る当時名の知れた機屋の見習いとなった。帯には伝統的で高度な技術が求められる。しかし職人たちはわざわざ新入りに教えようとはしない。見て盗むしかなかった。その盗んだものを見習いが身につけるには、機が空いている明け方のわずかな時間しかなかった。職人らが仕事を始める午前7時には、機を明け渡すことになる。辛い過酷な日々がつづいたが、その機屋があっけなくつぶれた。買い取った会社に移り、時代の趨勢でこんどはネクタイ地を手がける。覚えは早かった。18才で飛びこんだのに、20才を過ぎたころには現場の仕事をこなしつつ、東京への営業もまかされていた。おまけに腕のいい人はすぐに引き抜かれたから、あとを頼むと言って頼りの番頭さんがいなくなった。以降、生活のすべてが織物漬けとなる日々がつづく。織物には、生地の組織と織りの技術だけでも無限の組み合わせがある。また織機に故障は付きものだから、自分で修理できなければ職人ではない。そのうえ当時のネクタイは堅牢度が優先され、やたらどす黒いものが多かった。もっといい色合い、もっといい光沢のものがあるはずだ。持ち前の探究心が、分業の進んだ業界にあって垣根を越えた学習へと向かわせた。しかし、そんな職人はすっかりいなくなった。「機場のきれいな人は、機械も喜んで動いてくれる」織物ひとすじ52年の経験が、そう言わせた。

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オリシンマテリアル株式会社
京都府京都市上京区元誓願寺通浄福寺西入革堂町455
Tel 075-451-0730