岐阜アパレル合同新年互礼会

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昨日、1月8日は岐阜にて、「2013年岐阜アパレル合同新年互礼会」が開催されました。

MFUからも毎年参加させて頂いております。

今年も岐阜グランドホテルにて、約500名が全国から集まり、盛大な会でした。

岐阜メンズファッション工業組合の野口理事長は、MFUの常任理事もお願いしていることから、斎藤副理事長らとともにご挨拶させていただきました。

岐阜のファッションの歴史は非常に古く、ここで簡単にまとめさせていただきましたので、下記をご覧ください。

岐阜各団体代表による新年のご挨拶
一般社団法人 日本メンズファッション協会 のブログ

会場の様子
一般社団法人 日本メンズファッション協会 のブログ

岐阜メンズファッション工業組合 野口理事長(右)と 斎藤MFU副理事長(左)
一般社団法人 日本メンズファッション協会 のブログ

●岐阜ファッションの歴史

岐阜は戦後、戦争で焼け野原となった駅前に、満州からの引き揚げ者たちが中心となって、バラック小屋をつくり、古着や軍服などの衣服を集めて売りました。これはハルピン街と呼ばれ、岐阜問屋街の始まりとなり、昭和23年頃からは古着ばかりでなく、布を一宮や羽島から仕入れ新しい服を作って売るという岐阜の既製服産業が始まりました。

昭和30年頃から経済成長が始まり、商品がたくさん出まわるようになると、これまでのように「作れば売れる」というわけにはいかず、だんだんデザイン・素材の良い商品の価値が高まっていく中で、新しい商品作りや縫製の研究グループができはじめました。商品としては、紳士服(ジャンパーなど)中心から、婦人服・子供服・スポーツウェアなど種類が多くなったようです。

その後、オイルショックや国際化の流れの中、常に時代の最先端を追い続け、一大産地としての地位を確立しています。

これからは、服を作って売るだけでなく、世界のファッション情報が集まってくるような情報の集積基地を目指し、官民一体となって「岐阜のファッション」を世界に向けて発信していくことを目指ておられます。

出典「岐阜アパレルの歴史」より

http://www.gifu-fashion.com/history.htm

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